インド・バラナシ・巡礼の町
宿
インド・バラナシ・巡礼の町
宿
路地の中は巡礼客、観光客でいっぱいだ。
年間100万人以上のヒンズー教徒がここバラナシを訪れると言われている。
細い小道の両脇は小さなお店で埋め尽くされ、ヒンズーの神々をかたどった像や彫りもの、キラキラした腕輪などの装飾品、サリーや布地、寺院に供えるお花やろうそく、そして母なるガンジス河(ガンガー様)の聖水を入れるための壺や容器が売られている。
地面はおおむね石畳。雨季のためあちこちに水たまりができている。水はまわりの泥や砂と混ざり合い、茶色く濁った仕上がりになっている。そしてポツポツ牛がいる。彼らは座って休んでいたり、ただそこに突っ立っていたり、生ゴミを食べていたり。生ゴミはそのへんに打ち捨ててあるものや、ゴミ置場に集められたものになる。場所によっては臭いがきつく、潔癖気味の娘は終始鼻をつまんでいる。ヒンズー教徒にとって、牛は神様の乗り物であると同時に、この世の不浄なものを食べてくれる、信じがたい力を備えた尊い生きものだ。
ところで、ヒンズー教にユニークなのは牛だけではもちろんない。世界二大宗教のキリスト教やイスラム教とは異なり、ヒンズー教は1つの神をもたない。むしろ神は複数でさまざまな形をとっており、そのどれを崇めてもかまわないという。
もっとも家庭や家族によってお気に入りの神様がいるのだろうが、この「別にかまわない」「神様はほかにもいる」という特徴は、ほかのメジャーな宗教とまったく異なる次元での寛容さ、寛大さ(いい加減さ)を備えている。
そしてこの特徴はヒンズー教の成り立ちと深く関わり合っている。ここには開祖も預言者も、まとまった聖典も存在しない。
広い意味でのヒンズー教は紀元前3000年のインダス文明に遡るとも言われるが、一般的には紀元前2000年頃、イランからやってきたアーリア人が成立させた「バラモン教」が土台と言われる。やがてこのバラモン教は、インドやその土地周辺のさまざまな土着の神々、信仰、崇拝様式、生活様式、伝統を受け入れて、その内に取り込んでいく。こうしてすべてを呑み込み肥大化した総体がヒンズー教と呼ばれる何かになる。
そう、ヒンズー教と呼ばれる何か。そもそもヒンズー教を宗教という枠に収めようとすること自体、ナンセンスなのらしい。
研究者たちの間では、ヒンズー教が含むものはあまりにも広範囲におよぶため、定義をあたえることは困難だとされている。
インドの最高裁はかつてヒンズー教についてこのように述べている:
ヒンズー教について語ろうとするとき、わたしたちはそれを定義することに、あるいはそれが何であるかを十分に説明することに困難を覚えてきました。世界のほかの宗教と異なり、ヒンズー教は1人の預言者、1つの神への崇拝、1つの哲学的概念、1つの儀式をもちません。事実、ヒンズーは宗教や信条のもつ伝統的な要件を満たしません。ヒンズーとは生のありかたそのものであり、それ以上の意味をもちえないのです。
なるほど、この感覚はキリスト教を礎にした西欧社会の住人たちには、なかなかストンと落ちてこない感覚かもしれない。彼らにとって世界とは絶対唯一の存在を頂点にして成り立つので、その内に矛盾を内包することは構造上むずかしく、混沌はつねに1つの真理によって解き明かされなければならない。
では日本人はどうなのだろう。歴史を振り返れば、仏教および禅の思想・文化・精神はいまも脈々と日本人の意識の底に流れていると言えるだろう。ひょっとすると、そこにはあらゆる意味での曖昧さ、ときに矛盾に耐えうる柔軟性、しなやかさも含まれるのではないだろうか? わたしたち日本人にとって、ヒンズー的なありかたは案外ふわっと感覚的につかめてしまうのかもしれない。
「ママ、どうしてみんな裸足?」
ところで、このバラナシで巡礼者の多くは裸足である。その足が石畳に溜まった泥水に触れようと、牛の排泄物に食い込もうと彼らは気にも留めない(リマインド:牛は彼らにしてみれば神聖な生き物だ)。むしろそれがバラナシでの正しいマナーであるかのように。
「ヒア・ホテル」
やがてわたしたちは宿に着く。入り口の壁にシヴァ神の絵が描かれている。
「なるほどー」
これはもはやホテルではない。どう見てもバックパッカー用のドミトリー。
一瞬わたしの頭の中を、以前に交わした夫との会話、この旅行が持ち上がったときの会話が足早に通り過ぎる。
英国を引き上げるついでに・・・ちょっとインドに立ち寄って・・・引っ越しの途中だし・・・・子どももいるし・・・・安全サイドで・・・外国人用のそこそこに良い宿を・・・
わたしはチラッと夫を見る。彼は平然と額の汗をTシャツの袖で拭っている。
そこへ宿のご主人がやってくる。見た目は30代のインド人男性で、わたしたちに上階へ上がれと言う。なぜか彼は口の中に何か液体を入れたままアワアワと喋っているのが気にはなる。
「みんな、どんどん上に上がっちゃって」
子どもたちが無言で階段を上っていく。だれも何もしゃべらない。この建物はあきらかに改装中だ。営業しているとはとても思えない状態。わたしたちの頭の上でハシゴを登った大工が2人、楓模様の天井板を取り付けている。おそらく今朝までここに天井はなかっただろう。
宿のご主人が堂々と教えてくれる。
「きみたち、改装中に来た。ぼくはもう予約できないようにしておいたのに。その最中、きみたち、インターネットで予約した。システム、もう断れない。今夜のお客、きみたちだけ。来月までお客は取らないつもりだった。ここ全部、改装中」
「……」
まず案内されたのは最上階の1部屋だ。ペンキの匂いがぷんぷん漂う。こんな感じでピカピカに斬新な仕上がり。
細長い長方形のひと間に、この上なく簡素なベッドが5台並んでいる。
わたしは備品を目で追い、確認する。
毛布なし、掛け布団なし。
シーツあり、枕あり、タオルあり。
トイレとシャワーは廊下の外だ。この階にはこの1室しかないので実質的にはプライベートのトイレになるのだろう。
一同、まずはリュックを下ろし、移動ばかりで使われなかった足腰をベッドの上でストレッチする。
「ママ、ここにはいくつ泊まる?」
ようやく下の息子が口を開く。道を歩いて色々とカルチャーショックを受けたり不安になったりしただろう。
「2つだよ」
「そしたら次は、どこに行くの?」
「夜行列車に乗って、デリーに行く」
「どのくらいかかる?」
「ひと晩だよ」
「そのあとは、どこに行くの?」
「デリーで2つ泊まったら、飛行機に乗って日本だよ」
「そっかあ、日本かあ」
英国で生まれたこの子は、日本の暮らしをまだ知らない。
「お疲れさま」
夫が階下で、宿のご主人と話をしている。
「いやー、これはちょっと。話が違いますよね」明らかに不満そうだ。
ごちゃ、ごちゃ、ごちゃ…… ほかに部屋はないですか? あれば見せてください。
ごちゃ、ごちゃ、ごちゃ…… そうね、じゃあここ。いま、きれいにするから待って。
結局、部屋を交換してもらうことになった。
少しして、階下から宿の主人の声が聞こえてくる。
「おーい、きみたち、降りちゃって。ここ、一番いい部屋。要望どおり、使えるようにしておいた」
そもそも本来予約したのがその部屋らしいが、結果オーライということにする。
入ってみると、さっきよりはだいぶ良い。中には古いキングサイズのベッドが2つ、液晶テレビ、エアコン、ファン、奥には簡素なトイレとシャワー室付き。5人で1部屋、2千円なり。
・・・・・・
わたしたちが部屋でいったん着替えていると、宿の主人が出しぬけにドアを開けて入ってくるので、一同驚く。
「朝食、となりの食事スペース。天井の工事、心配ない。あと2時間で終わるから。
食事したい10分前、きみたち、ぼくに声かける。そしたらぼくが卵焼く。オムライスある。作りかた、日本人に教わった。バラナシでオムライス食べられるの、ここだけだよ」
「そうなんだ! 卵のほかには何か出ますか?」
「トーストも焼く。飲み物はコーヒー? 子どもたちにはジュースあるよ」
「いいですね、お願いします」
「オーケー」
そういえば、運転手のお兄さんはどうしたのだろう。
ドアを開けて階下に下りると、宿のご主人や運転手のお兄さんに加え、近所のみなさんが集まって楽しく外で雑談中だ。よちよち歩きの女の子はご主人のひとり娘。
「あの、すみません。これから夕方、ガンジス河のガート(沐浴場)に行く予定になのですが、ガイドさんを頼んだはずです。ガイドさんはどこにいますか?」
すると運転手のお兄さんがニコニコと喋り出す。
「ミー・ガイド・ユー」
え?
「ガイドはあなたなのですか?」
「ミー・ノー・プロブレム。ミー・ガイド・ユー」
「ちょっと待って。ぼくたちがお金を払ったのはデリーのツアー会社です。まずそこに電話しますね」
夫がデリーのツアー会社に連絡する。運転手のお兄さんは自分がボスに電話するから任せておけと言っている。そのボスというのはおそらくデリーのツアー会社の発注先だと思われるが、わたしたちがお金を払って依頼したのはデリーのツアー会社である。そのツアー会社は、英語と日本語の堪能なインド人男性が切り盛りしており、わたしたちが事前に諸々手配をお願いしてきた人物だ。
「あ、もしもし……ええ、そうです……いまバラナシに着いたところで、これから夕刻のガートを見学しに行くのですが……」
夫がデリーのツアー会社に日本語で電話を始める。
「ガイドを頼んだはずですが……この運転手さんがガイドもやるって本当ですか……ほぼ英語ができないようですが」
「ミー・ノー・プロブレム」
お兄さんは困惑した表情を浮かべている。ボスからこの仕事を任されて、ぼくは張り切ってやって来た。
「マイ・ボス・バラナシ。ホワイ・デリー? ヒア・バラナシ。ユー・バラナシ。ミー・ガイド」
たしかに、気持ちはわかるのですがね。
そこへなぜか宿のご主人も加勢する。
「暗くなると、人いっぱい。人いっぱいだと、よく見えない。きみたち、すぐ行くのおすすめ」
ご主人が再び口をアワアワさせて喋りかける。どうも口に何か液体を入れながら喋っているようなのだが、なぜそんな状態で人と話をするのだろう。ここでは遠慮という概念もなさそうなので、こちらもためしに聞いてみる。
「あの、口の中には何が入っているのですか?」
すると彼は声を張り上げ、
「これはお祈り! いまお祈りしてるとこ!」
思ってもみない答えが返ってくる。この土地では人によって、葉っぱを口に含みながらお祈りする習慣があるらしい。
夫のほうはどうやら話がついたと見える。
「そうですか、わかりました。今日まではこの人ということで。明日はかならず、英語か日本語がしっかり喋れるガイドさんをお願いしますね」
今夜はこのまま運転手のお兄さんがガイドも務めてくれるということになった。
「では、ガートへの案内をお願いします。いつここを出ましょうか?」
わたしが聞くと、お兄さんが白い歯を見せニッコリ笑う。
「ナウ!」
宿
夕、ガンジス河畔の儀式に行く
朝、ガンジス河畔を散歩する
火葬場のこと
カーシー・ヴィシュヴァナート寺院
食べもののこと、河畔のテラス
デリー行きの夜行列車