インド・バラナシ・巡礼の町
ようこそ、聖都バラナシへ
インド・バラナシ・巡礼の町
ようこそ、聖都バランシへ
「ミー・パーク。ユー・ウェイト」
おもむろに運転手のお兄さんが道路の脇に車を止める。そしてわれわれを日用品屋の前に降ろすと、そのまま車でどこかへ走って行ってしまう。
「ママ、あの人、いつ戻る?」
うん、ママにもよくわからない。
「きっとすぐだと思うよ」
われわれは周囲の様子を観察する。ここはどうやらハイストリート。通りはつねに忙しい。車やトゥクトゥク、バイクや自転車、人力車などが行き交って、さまざまなお店屋さんが立ち並ぶ。男性の格好はだいたいシャツにジーンズ、女性はときどきサリーやパンジャビ・ドレス。
プップー! ビーッ、ビーッ! プップー! ビーッ、ビーッ!……
クラクションが鳴り止まない。だれもが挨拶代わりのように乗り物を鳴らしている。
自転車も負けてはいない。
ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン! ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン!……
日用品のお店にはサリーやパンジャビ・ドレス姿の女性たちが集まってくる。彼女たちは化粧品の入った小瓶や手鏡なんかを熱心に見比べる。そのまわりを4〜5歳の小さな男の子がうろうろしている。おそらく店主の息子だろう。
わたしたちはぶつからないよう隣の店のほうへ寄る。そこはなぜだか暗い薬屋でまったく人が入っていない。そもそも店主も見当たらないのだ。
10分後。
「ミー・テイク・ユー。ウィー・ウォーク」
いつの間にか、運転手のお兄さんが白い歯を見せ立っている。
ホテルへはここから徒歩でアクセスするらしい。お兄さんの後ろに続いて行くが……
ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン! ビーッ、ビーッ! プップー! チリン、チリン!
とにかく思うように歩けない。ここでは車やバイク、リキシャや自転車、歩行者、牛がおのおの都合によって押し合いへし合い移動する。車両と歩道の境界線はどこまでも曖昧で、異質なものが異質なままに、それでも混ざり合っている。あるときは車道の域がぐぐっと膨らみ歩行者たちを蹴散らして、またあるときは歩行者たちが数を味方に車道エリアを押し返す。牛も牛で、突然道路に座り込む。
こんな道路をどうやって渡るのか、先進国から初めて旅行に来た人にわかるとは思えない。交差点の横断中は撮影どころではない。大通りを渡るのはいわば一種のスキルと呼べる。バラナシの大通りの歩きかた。
いっぽう運転手のお兄さんは、わたしたちにはおかまいなしでズンズン先を進んで行く。どうして後ろを振り向かないのか、自分の客を迷子にしては元も子もないじゃないと思ってしまうが、彼がどう感じているかは別問題。
わたしたちはとにかく彼を追って行く。彼の姿が視界から消えることのないように。それから車に轢かれないよう、人力車に踏み倒されたりバイクに跳ね飛ばされたりすることのないように。
やがて彼が大通りの角を曲がり、細い通りに入ったとたん、見たこともない光景が飛び込んでくる。
「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ」
「壷だよ、壷!」
「お布施を! お布施を!」
なんだろう、ここは?
あたり一帯を練り歩く、オレンジ色の集団。竿を引っ掛け、土産物を売り歩く行商。道端に座り込み、お布施を求める出家遊行者。黙って佇む大きな牛と野犬たち。
思わず走ってお兄さんに追いつこうとする。彼らは何をしているのか。行者や牛や犬はともかく、あの謎のオレンジ色の服を着た集団はいったい。
お兄さんはここで初めて後ろを振り返る。
よし、みんな、いるね?
「あの、オレンジ色の服を着た人は何なのですか?」
「ナウ・シヴァ・フェスティバル」
「シヴァ?」
「イエース。ヒンズー・ゴッド。シヴァ!」
「そうか、シヴァ神!」
「ナウ・シヴァ・フェスティバル。フェスティバル!」
どうやら今月8月は破壊と創造の神「シヴァ」を祝う強化月間で、インド全土からこの神の信奉者たちがバラナシへ押し寄せてくるらしい。彼らの多くは巡礼の間、シヴァを表すオレンジ色の衣をまとい、シヴァを讃える言葉や歌を口ずさみ、裸足で町を馳け廻る。
・・・・・・
ふと目の前の牡牛と視線が合う。彼の顔は無表情そのもの、黙ってそこに突っ立っているだけだ。まるでもう何年もそうして立っているかのように。
幾人かの通行人が彼のそばを通り抜け、彼の背中に触れていく。彼はまったく気にしない。何が起きても気にしない。おそらく天と地がひっくり返ったとしても。
「ウェルカム・トゥー・バラナシ」
ここはとても不思議な場所だ。
ようこそ、聖都バラナシへ
宿
夕、ガンジス河畔の儀式に行く
朝、ガンジス河畔を散歩する
火葬場のこと
カーシー・ヴィシュヴァナート寺院
食べもののこと、河畔のテラス
デリー行きの夜行列車