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Photo by Steven Roe

 

昨日、親しい人がいいことを言っていたので、メモしておこうと思う。

 

努力は報われると思うな。

 

いきなり身も蓋もない言葉でごめんなさい。

けれども最近、「身も蓋もない」事の先に見える何かがあるような気がしてーーー不都合な現実を呑み込まなければ開けない大事な話があるような気がして、あえて目を背けないように意識している。

「努力は報われると思うな」

これはとくに、これまであまり挫折をしたことのない人、たとえば高学歴だったり、人間関係で悩まなかったり、仕事が順調だったりした人こそ気をつけたほうがいい言葉なのだとその人は言う。

「だってさ。仕事とか人間関係とか、基本うまくはいかないからね」

端から見れば、ちょっと眩しいくらいのキャリアをゼロから築いた人が、そういうことを言うのだ。

「いろんな国で、いろんな人材を見てきて思うんだけど。
優等生的な人であればあるほど、この幻想に取り憑かれやすいんだよね。つまり、努力すれば絶対に報われるはずだ、という幻想。”私が/俺が頑張って努力すれば、かならず報われるはずなんだ”っていう気持ちを、心のどこかで持っている。
でも実は、そういう思いが心を脆くしちゃうわけ。新しい事業を興したり、転職したり、いままでとは全然別のことを始めたときに、ちょっとうまくいかなくなると、わりとすぐ傷ついちゃう。何度かやってダメだとすると、すぐ言い訳を見つけたり、逃げちゃったり、やめちゃったりするのよ」

なるほどーーー自分の胸に手を当てて正直に考える。

「たとえば事業を興した人が、お金を集めに投資家なんかを回るよね。あんなの基本はうまくいかない。何度も何度も断られたり、追い払われたり、門前払い。それが普通。
でも、何度かやってダメでした、だからやめます、っていう人がやっぱり結構いるんだよ。とくに優等生的な人に多いと思う」

起業家の実態はわからないが、あのハリポタ・シリーズのJ.K.ローリングが12の出版社から断られたというエピソードは有名だ。いまでこそ天才と呼ばれる人さえそいうことを経験している。

「でもさ、何度かやってダメでしたって、傷ついている場合じゃないんだよね、本当にやろうと思うなら。たとえ100回断られても落ち込まない。テンションを崩さない。淡々と、前向きに次へいく」

「だから大事なことは、粘り強く淡々とやること。とにかくネチネチ、ネチネチやるってことかもしれないよね。期待値を上げすぎず、思い込みや感情から距離を置いて」

夢を見るなということではない。希望を持つなということではない。悲観的になれということでは全くない。
むしろこれは楽観であり、前向きであり、ポジティブでさえあるだろう。

ふと、レジリアンス(しなやかさ)という言葉を思い出した。思い通りにいかないとき、つらい目に遭ったとき、どう自分を立ち直らせ、納得させて、その次にいけるのか。復元力、回復力とも訳されるこの言葉が注目されるようになって久しいが、逆さにすればその前にググッと落ち込む状態があることが前提だ。
ならばそもそも落ち込みにくい、凹みにくい、そんな心の状態づくりの視点があってもいいじゃない?

 

努力は報われると思うな。

その前提に立った上で、

感情に振り回されず、淡々と、

前向きにやるべきことをやっていく。

 

どうしようもないこの現実、クシャクシャしたこの現在、それを与件・出発点に、前を向いてやっていく。

そっちのほうが、むしろいまの時代にしっくりくるマインドなのかもしれない。

いまの時代の希望は「さあ、夢を叶えよう!」というキラキラした明るい未来発の希望というより、おおむね厳しい現実発になる。
でもそれは、たぶんもっと頑丈で、たくましい未来につながっている。